『脳を捨てた動物たち』|あん鍼灸院

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東洋医学その前に

テーマ;『脳を捨てた動物たち』

二つの面白い記事を紹介します。

 

一つ目

理研BSIニュースNo.27(2005年)から転載

「脳を捨てた動物たち」

理化学研究所

比較神経発生研究チーム

チームリーダー

有賀 純  氏

私たちはさまざまな生き物の遺伝子構造比較により、脳の成り立ちに重要な遺伝子情報を探索しています。これまでにいろいろな動物を実験材料にしてきましたが、その神経組織の多様性には驚くばかりです。クラゲやイソギンチャクの仲間のように、神経細胞がそれほど密集しておらず、散在神経系と呼ばれるものから、イカ・タコのように中枢化の進んだカゴ型の神経系を持つもの、はたまた、神経管の前端に複雑な構造(脳)を有するヒトのような脊椎動物まで多岐にわたります。

 

このような神経組織の多様性を説明するときに、進化の過程で神経組織の中枢化が進み、ヒトのような「高等動物」が出来上がったのだということは良く論じられます。「進化が進む」とよく言われますが、この言葉はしばしば、聞く側に『進化は複雑な動物を生み出す方向にのみ進む』という誤ったイメージを与えがちです。生物の遺伝子情報は絶えず揺らいでおり、さまざまな変異(多様性)が生み出されますが、「進化」とはある環境で生き延びるのに適した体の構造や生活様式に必要な遺伝子情報を持った生き物が選ばれていく過程であると考えられています。ですから、ある体の構造がより強調され複雑化していく場合もあれば、逆に目的に合わない構造を捨てて単純化していく場合もあります。

 

脳について見てみますと、ヒトのように脳を発達させて種を繁栄させていったものもありますが、一方で進化の過程で「脳はいらない」と言って、捨てていったかのように見える動物もあります。例えば、ホヤは浅い海岸などに広く棲息し、食用としてもなじみの深い動物ですが、幼生の時期には他の脊索動物と良く似た神経管・脊索などの構造を持っています。しかし、発生の過程でこれらは失われてしまい、成体に残るのはとても単純な構造を持った神経節だけです(脳はない)。彼らは、海水中での固着生活に適応した非常に簡略化された神経系を残すことによって、子孫を繁栄させて進化の過程で生き残った「勝ち組」です。また、ヒトデ・ウニ・ナマコなどの仲間(棘皮動物)にウミシダがあります(写真)。これは化石などの記録からはこのグループの祖先に近いと考えられていますが、より後の時代に登場したと考えられているヒトデなどよりも、複雑な神経系を持っています。

(ニッポンウミシダ。この「原始的だが高等な」動物は、昨年、チームの一員が採集してきたものです。右は底面からみたところ)

 

極端な例として、神経組織はいっさい捨ててしまったと考えられているニハイチュウのような動物もいます(脳はない)。これはタコやイカなどの腎臓に寄生する、細胞数が多くても50ほどしかない非常に小さな動物ですが、神経組織をまったく持っていません。しかし、遺伝子の比較から、神経を持つ無脊椎動物の祖先から「進化」してきたものと考えられています。環境によっては、脳はおろか神経組織すら無くても生存を続けられるのでしょう。このように見てみると、脳をふくらませ、高度な「知性」を持つことだけが子孫を残して繁栄させるための唯一の有効な手段ではなさそうです。

 

私たちは、最終的にはヒトの脳を知りたくて研究を進めていますが、脳は研究対象として非常に魅力的であると同時に、使い方によっては非常に「危険」なものと思われます。ヒトはその脳の故に、地球の環境を激変させ、多くの生物を絶滅の危機に追い込んでしまいました。また、大量殺戮兵器の開発など、ヒト自身の繁栄に対して、マイナスと思えるような活動も生み出しています。脳のおかげで現在の繁栄を勝ち取っているヒトですが、脳の無いニハイチュウとどちらが地球上で長く生き延びられるのか、簡単に予想できないところに怖さがあります。

(理化学研究所)

 

二つ目

脳のないナマコから学べることってあるの⁉

生物学者:本川達雄氏に聞く

新聞ブログ「DANROひとりを楽しむ」から転載)
取材:土井大輔氏 2018.05.28

生き物なのに、目もなければ鼻もない。それどころか、心臓や脳みそもない。群れを作らず、海のなかでただ砂を食べているーー。それが、ナマコです。
脳がないということは当然、悩みもないということ。それってある意味、究極の生き方では? もしかして、ナマコから学べることがあるのでは? そう思いたって、生物学者・本川達雄さん(70)に会いにいきました。
本川さんは、ナマコ研究の第一人者。東京工業大学の名誉教授で、ベストセラーとなった『ゾウの時間 ネズミの時間』の著者としても知られています。

ーーナマコには脳がないということですが、「脳のない生物」がいること自体、感覚的に理解できないというか、うまく飲み込めません。
本川:脳というのは、神経細胞が集まった塊です。目からの入力に対して膨らんでいる部分があったり、鼻からの情報に対して膨らんでいる部分があったりして、感覚器官につながっているのです。ナマコのように感覚器官のない生物には、それがいらないわけです。

本川達雄さんが研究したナマコ(写真はジャノメナマコ/本川さん提供)

ーーまさに「無神経」ですか。本川:ナマコにも神経はあるんです。ただ、それを処理する、いわば大規模なコンピューターがないんですね。
ーーそうだとすると、結局、ナマコは「進化」したのですか? それとも「退化」したのですか?
本川:退化といえば退化なんですが、ナマコやウニ、ヒトデなどの『棘皮(きょくひ)動物』は、動かなくていい生活をするようになったんです。砂についた栄養をとったり、流れてくる微生物を身体のなかの『網』で濾(こ)して食べたり。それにともなって、脳なんか、なくなっちゃった。

ーーなんとも不思議な生物ですね。
本川:それでもホヤやナマコ、ヒトデなどは、昆虫なんかと比べると、僕らヒトと非常に近い生物です。ヒトとナマコはいわば同じ系統でありながら、神経を発達させるかさせないかで両極端にいっちゃったんですね。 

 

「歌う生物学者」としても知られる本川達雄さん
ーー本川さんは、なぜナマコを研究することになったのでしょうか?
本川:沖縄が本土復帰してから7年目に、琉球大学の研究施設に行ったら、その近くの海にナマコがたくさんいたんです。なぜ沖縄に行ったかというと、東大での助手時代、「若い研究者を沖縄に送ってほしい」という話があったからです。
ーー自ら志願したんですか?
本川:学生運動のとき、あれだけ沖縄の本土復帰を訴えていた人たちが、誰も手を挙げないんです。学生運動を引っぱっていた人たちは頭が良かったから、変わり身も早かった。それに腹が立って、僕が手を挙げたんです。行ってみたら、機材はない、学生がいない、研究用のマウスを手配する流通もない状態で、大変でした。
ーー「海の生き物が好きだったから」という理由ではないんですか?
本川:いえ、動物は嫌いなんです。
ーーでは、なぜ、そちらの道に進んだのでしょうか。
本川:僕が学生だったころ、理学部では素粒子物理学が華やかでした。究極の粒子である素粒子がわかれば、世界がわかると考えていたんです。一方、文学部や心理学部では、脳や心がわかればすべてがわかると思っている。僕には、そのどちらもが偏った見方に思えた。だったら、その真ん中くらいをいこうと。それは動物学じゃないかと考えた。だから動物は嫌いだったけど、そこに進もうと決めたんです。

ーー「素粒子」でも「脳や心」でもないところから、世界を解明しようとした?
本川:解明しようなんて思いません。世の中を解明することなんてできませんから。ただ、理解したかったんです。理解というのは、人間の理性が腑に落ちて納得すること。それが真理かどうかは、わからないんです。科学の世界には科学の世界の「真理」がありますが、それは「こういう風に解釈すれば納得できる」という納得の部分をいっているだけで、現象学の話なんですね。
ーー難しい話ですが、少しわかった気がします。
本川:それこそ、ナマコなんて、我々とは世界が違うわけです。だから多くの人は、異質なものとして排除してしまう。でも、違う世界を理解しようとする姿勢こそが大切です。科学では共通性ばかりをいうけども、むしろ共通でないところが大事。ナマコの研究でも、ナマコという不可解なものを理解可能なものにできるかが勝負だった。
ーーわからないからこそ、向き合うということですね。
本川:いまは皆、お気に入りのものだけを周りに集めて、自分の世界を作っている。でも、それで世界が広がったように感じるのは、危ういと思います。自分とは違うものをいかに理解して付き合っていくかというのをやらないと、世界は広がっていきません。

 

このお二人の「脳を捨てた動物」の話は如何だったでしょうか?

ホヤやナマコは脳は無くても、生命の維持だけではなく子孫もたくさん残して勝ち組だと言われる。

では、脳も神経も捨てた動物はどのような仕組みで生きているのでしょうか? 

脳を捨てた動物の代謝や繁殖はどのようにされているのでしょうか?

脳という組織は「生きる」「子孫を残す」ということに絞れば必要がないようですね。

以上

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