東洋医学からみる『皮膚の中の小宇宙』|あん鍼灸院

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東洋医学その前に

人間のからだ、それは皮膚という生きた袋の中に、液体的なものがいっぱい入っていて、その中に骨も内臓も浮かんでいるのだ

(野口三千三〈みちぞう〉氏)

このことは、床に横たわり、誰かに足首をもって揺らしてもらえばすぐにわかると、野口体操で知られる体操の理論家は言う。物体の運動は中が固体か液体かで挙動が大きく異なる。ゆで卵は生卵よりよく回転する。身体を使いこなすには、日頃から「皮膚につつまれた液体を実感する」ことが大切だという。『原初生命体としての人間』から。

「折々のことば」(哲学者:鷲田清一氏のことば)(朝日新聞2019/5/3)

(野口三千三氏は、元東京芸術大学教授で野口体操教室を主宰した方です。著書『原初生命体としての人間』の中で「からだの主体は脳でなく、体液である」と唱えた。こうした体の動きの実感をもとに野口体操を開発し、演劇、音楽、教育、哲学に影響を与えた。今も大学の声楽教育にこの理論が使われている。)

 

2015年12月5日、私は同じような夢をみている。以下のように記録している。

「原生動物が細胞膜を手に入れ、次いで代謝を手に入れ、1個の細胞内で生きることができるように進化した。それが生物を形作り、我々になったと。夢の中で、丸い円盤状の組織の中に器官があり一部の縁は折れ曲がって、裏側に私達の生活がある円盤を見た。」

 

野口氏は、著書の中で皮膚について書いている。

『皮膚とは人間にとって何なのであろうか。

皮膚は、原初生命体の界面の膜である。すべての感覚受容器(視・聴・嗅・味・触)を含む総合的な感覚受容器である、と同時に、脳・神経の原初的形態なのである。脳は、皮膚がからだの中の特定の場所にまとまって出来たもので、皮膚と別物ではない。脳をどうしても高級上位に置きたい人には、皮膚は脳がからだの表面に、薄く伸び展がったものである、といったらどうであろうか。原初形態の脳(原初生命体の膜)は、受容・伝送・処理・反応のすべての働きをしていたものと考えられる。今ある脳は、主として処理の働きを受けもっているのであるが… 。心と言うことばを使うならば、皮膚は「もの」としてここにある心である、というべきであろう。現在の人間は、触覚から視覚・聴覚・嗅覚・味覚というように、分化・特殊化することによって進化してきたと考えられている。しかしそのために、もともとはすべての感覚が触覚に統合されるはずなのに、「触覚」を五感の中のひとつとしてしか考えられなくなった、という誤りを犯してしまっている。すべての感覚はもともと「触覚」にその本質があることを思い知るべきだ。そして、現在すでに分化・特殊化されたものと思い込んでいる触覚の中身には、まだはかり知れない多くの何かがふくまれひそんでいるはずである。触覚の奥深い未知の能力には、敬虔・畏怖の念をもって向かい合うべきものだと考える。人間の触れるという働きの中で、最も強く「体気」が出入りする所のひとつが、手・掌・指である。本気で触れた時、どんなに驚くべきことが起こるか、体験しないとまったく想像もつかないようなことが起こるのである。本気とは「本当の気」である。協力の在り方の中で、ぜひ体験してほしいと願っている。』

 

さて、骨を中心として考えると人の身体はそこにぶら下がった内臓や皮膚と考えがちだが、上記のように皮膚という袋の中に浮いている骨や内臓という切り口は、私には新鮮だ。骨、特に脊柱はそれを支える腱を緩めると脊椎がバラバラになる。だから、均衡が崩れると背柱が前後左右に曲がる。皮膚に包まれ外界から隔離された人の身体は、確かに原初生命体である。皮膚が最初に発生した、最も大切な臓器であるように思える。鳥や爬虫類などの卵もまた、生命の胚が体液(白身)に浮かび、それを卵殻膜という皮膚に近い膜で覆うとともに卵殻という骨で補強しているようにみえる。皮膚も卵も穴がいっぱい空いている。38億年続く地球生命体の歴史をずーと遡ってゆくと、ヒトもまた非常に単純な生命体に行き着く。そこを突き詰めてゆけば、私たちの本当の姿が見えてくると思う。単純ゆえに最小限の機能がある。最大の臓器は、内臓というより外臓と言うべきか、皮膚である。原初生命体には袋状の細胞膜、つまり原初的皮膚が体液と内臓を包み込み生命体として生きてきた。そこに、鞭毛や繊毛のような毛状の体毛が発生する。これによって生命体は、移動できるようになった。いわゆるミドリムシやゾウリムシのようなもので、現在残っている体内の細胞は精子だ。それがどんどん進化というより、変化して鱗を持つ魚類になったと想像する。魚類は、海藻が陸地に上がって草木になり森を形成した所へ向かって鱗をつけたまま上陸した。それが爬虫類。ところが、両生類には鱗がない。然し、粘膜で覆われて粘液で満たされている。両生類は鱗を持たない魚類が爬虫類より先に上陸したらしい。爬虫類は鱗を羽毛に変化させ鳥類になる。さらに、鱗は毛になり哺乳動物に分化する。遂には、ヒトは何とその毛を取り去った。その結果、皮膚は外界に晒された。反面、ヒトはその陰陽(女や男)を問わず強い興味を示す、豊かな乳房を手にした。細胞膜つまり、皮膚という見地から生物の変化を連続して見て行くと色々なものが見えてくる。

アッ。随分前に、コロンブスのゆで卵ならぬ「生卵」を机の上の立てる話が天声人語の単行本(辰濃和男 著)に「立春の卵」と題して載っていて、家族や会社の人たちの前で「生卵」を机の上にそっと立てて自慢していました。卵の尖った方を上にして(下でも良い)、そーっと置くとすっくと立つ。接するところがただ一点であっても立つべくして立っている。そうか、この時の話も、野口三千三氏の「原初生命体としての人間」だったのか。

(写真)すっくと立つ生卵:私が立ててみました

 

皮膚は、肉体と外界を分け隔てる袋状の臓器であるだけではない。熱かったり冷たかったり、痛かったり痒かったり、大気圧や気温を感じ、風を感じ、音を感じ、光と影を感じ、他人の視線や気を感じる感覚器であり、皮膚呼吸をしたり、触られると気持ちが良かったり触って相手を好きになったり、さらには私たちの仕事、鍼術の治療線(点ではない)があり病気を根本から治すなど、皮膚の役目は多い。ヒトの卵子は受精後、細胞分裂してゆく。皮膚と脳いずれも、卵子受精後16日目位の胚盤胞の中葉という場所から発生する。つまり、皮膚と脳は性質が近く、脳の一部が皮膚ではなく、皮膚の一部が脳であるように感じる。脳の位置は脊髄神経の末端にあり脊髄神経の膨らみと言われている。ここで直感するのは、どうも細胞膜といえる袋状の皮膚は自律して体を制御いるのではないかと解る。

以上

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