遇うて空しく過ぐる勿(なか)れ【九鬼周造】

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遇うて空しく過ぐる勿(なか)れ

 (哲学者:九鬼〈くき〉周造)

     ◇

”偶然とは、偶々(たまたま)「あった」が「ない」こともありえたということ”

この〈私〉も両親の偶々の結ばれから生まれた。そのかぎりで〈私〉が今ここにこうしてあることに最終的な根拠はない。が、この偶然は人生を最後まで制約する。そう、偶然は必然へと裏返る。〈私〉の存在が意味をもつのは、この裏返りに孕(はら)まれた可能性を生き抜く時だけだと哲学者は言う。『偶然性の問題』から。(哲学者:鷲田清一氏のことば、朝日新聞掲載)

 

『遇うて空しく過ぐる勿れ』は、親鸞聖人『浄土論』にあるそうだ(*)。

東洋思想の陰陽論では、陰転じて陽となす、陽転じて陰となすという。自然のものはすべて偶然から起こっている。その偶然がこの自然を支配している。医療もまた、偶然に起こった病に立ち向かわねばならない。その治す方法もまた、偶然性というところから離れることはできない。東洋医学は、それをよく観察していて、『見える「結果現象」を捉えるのではなく、偶然の裏返りからくる必然という見えない「原因」を見つけ出す考え方』だと思う。

人はいくつもの症状が偶々起こり色々な病気になったと思い込んでいる。しかし実は、それらの症状の芽を掘り起こすと根はお互いに絡み合って一つの根塊(原因)を成していて必然であったということがわかる。病はその根塊(原因)を鍼で元の状態に戻すことで、一つ一つの根がほどけ症状という芽が枯れ無くなってゆく。

(*)東本願寺HP>真宗の教え>宗祖としての親鸞聖人に遇う>飛躍する偶然性

以上

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脈診経絡はり治療専門
あん鍼灸院

香川県高松市木太町1247-11
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